自分になり切る。人は人吾はわれ也。
2024.09.26「たったひとりでもいい、わたしのことをほんとうにわかってくれるひとがいれば、わたしは生きていくことができる」先日購入した本を読んでいるとき本中のこの一行「たったひとりでもいい、あなたのことをほんとうにわかってくれるひとがいれば、あなたは生きていくことができる」の文を「あなた」を「わたし」に読み替えていろいろ考えました。この本「それでも生きていく意味を求めて~心の宇宙を旅する~」皆藤章(京都大学教授:臨床心理士:河合隼雄氏の愛弟子)の中で、こんな文章がありました。本「生きがいについて」の著者故神谷美恵子さんが40代の頃(今から67年前でしょう)ゴッホ展を見たときのことをこう書いてありました。「そこで神谷美恵子は、ゴッホの絵画からその人生、その『苦闘にみちた生活』を思い『人は自分であり切らねばならない、ということを再びまざまざと感じて帰ってきた。自分のこれから進むべき道をはっきりと示されたように感じた』と記している。それは、ハンセン病療養所長島愛生園で病者に会い始めた翌年のことであった。」と。そして、本の中にこんな個所もありました。「哲学者の西田幾多郎は還暦のとき、自分の道を進む決意をこう詠んだ。『人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾は行なり』と」この中の「人は自分である切らねばならない」とはどういうことなのか?「人は人吾はわれ也 吾行く道を吾は行なり」とはどういいうことなのか?考えます。このことは、自分のことしか考えない人のことは考えないということではないのです。自分であり切るとは。人は人吾はわれなりとは。今の自分を認め受け入れること。そして、人との比較を無心にして、人の評価を無心にして自分の取柄で人の為になることでそれを生きる自分の道にしていくことだろうと私は考えます。