

二人の石切り職人
2020.08.078月になるとやはり、原民喜の「夏の花」を読みます。生きておられたなら原民喜は昨日の広島原爆の日式典で子ども代表の「平和への誓い~希望を未来へつなぐ~」をどんな思いで聞くのだろうか。・・「人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。」小学生が語った平和への誓いの、この一行の持つ深い重い意味を私たちは考え抜かねばならない。それが希望である。教育の究極目的は「世界平和である」と昨日書きました。教師の仕事へ、その思いを込めたいのです。「二人の石切り職人」の寓話を紹介します。旅人が、ある町を通りかかりました。その町では、新しい教会が建設されていました、現場で二人の石切り職人が働いていました。その仕事に興味を持った旅人は、一人の職人に聞きました。あなたは、何をしているのですか。職人は不愉快そうな表情で答えました。「見りゃわかるだろう、このいまいましい石を切るために悪戦苦闘しているのさ」そこで旅人は、もう一人の石切り職人に同じことを訊きました。するとその石切り職人は、表情を輝かせ、生き生きとした声で、こう答えたのです。「ええ、いま、私は、多くの人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を造っているのです」この寓話は、大切なことを、私たちに教えています。私は、「今している仕事の彼方を見つめたい」のです。どのような仕事をしたかでなく、「その仕事の彼方に、何を見つめていたか。それが、我々の「人生の意味」を定める。している仕事の彼方を見つめて生きる。田坂広志氏も言っています。「人生の意味」とは、君が「何」を成し遂げたで、決まるのではない。「何」を見つめて生きたか。それが、君の「人生の意味」を定めると。私は、「今している仕事の彼方にあるものを見つめて仕事をすれば」と思うのです。それが仕事のフィロソフィであると。